【Vol.17】 シンガー SAKURAさん


<シンガーSAKURAの誕生>
ご両親が大阪ディスコを経営していた影響で子供の頃から生活の中に音楽があったSAKURAさん。



★歌手を目指すようになったのはいつ頃からですか?
22歳の時です。阪神淡路大震災がきっかけでした。その時に自分が生きた証を残したいという気持ちになり、CDを出したい!と思ったんです。


★子供の頃から歌手になりたいと思っていたのですか?
いえ、音楽で生活をしていこうとは思っていませんでした。生活の糧として音楽をすると色々な我慢を強いられるのでは?という考えがあって、音楽業界の奴隷になりたくないと思っていので、昼は英語の先生で、夜にライブをするという生活をしていました。


★デビューする為にした起こした行動を教えてください。
レコード会社20社くらいにデモテープを送りました。でも、総スカンでした。あとはコンテストに出て、「いる」事を知らせていきました。


★デモテープを送っても駄目だった時、どう思われましたか?
私はずっと洋楽を聴いて育っていたので、その当時、日本で流行っていた歌謡曲の良さが全然理解できず「みんな、これほんまに聞きたいんかな?」と疑問を持っていましたし、当時はR&BやSOULという音楽はまだ主流ではなかったので、「この感じを分かる人はいないんだ」と思ったくらいで、あまり悩みませんでした。その後、2年くらいして東芝が興味持ってくれ、25歳の時にデビューが決まりました。


<音楽を仕事にしたSAKURA>
★音楽が仕事になって何か変化はありましたか?
私の目が茶色いというのと同じように、私は音楽をする人というのは当たり前の事になっています。今では、逆に仕事として音楽をしたい!仕事じゃなくなる事はまずないですね。どれくらい長く続けられるか、なおかつ、ちゃんとそれで報酬を頂いているプロであり女性として自立している事が、私の中でのポイントになっているんです。 デビューしてからこの10年、元気でも元気でなくても、家で何があろうと、友達との間で何があろうと、詩を書きたくても書きたくなくても、1年間にアルバム1枚とシングル3枚は必ず作ってきました。「今では曲を作る事」が、私が一番上手くできる事です。「気持ちが沈んでいて、曲なんて作れる気分じゃない」なら、その気分に合わせた曲を書けばいいわけで、今は曲を書く事に悩む事は何もないですね。それくらい得意な事になりました。


★好きな事を仕事にしたいと思っている人にアドバイスをお願いします。
私は何でも「やった者勝ち」やと思うんです。皆、失敗をビビリすぎている気がする。やろうとしてあれこれ考えているくらいなら、「やったら?」ってアドバイスしますね。想像を働かす時点で無理と言っている人は絶対に夢を手にする事はできない。自分で「できない」と制限する必要もない。制限は周りの人に任せたらいいんです。やりたいっていう衝動はすごく自由なものだから大切にして欲しいですね。


★結果の評価は周り任せて。臆病なのは面白くない・・・ということですね。
夢を実現さす方法も、色々あると思います。コツコツやる方法もある。人に話してしまうとかももその一つ。常にその事に思いを巡らせてアンテナを張っていたら、それにチャンスがひっかかって入ってくる事もあるだろうから。夢見んと損やなって!現実だけの世界なんて嫌じゃないですか。今日がこうやったから明日も同じ様に、こうなるって決まっていたら、生きていたって楽しくない。たとえ失敗した経験があっても、それで考え込んだり、いっぱい泣いたりしてるから、今度は絶対違うわ!!って思っている方が、例え同じ結果になったとしても健康的な人間の様な気がする。

<世界平和を願うSAKURAのルーツ>
インターナショナルスクールで学び、大学はアメリカ シアトルに留学。そして今年の2月には、JICA(日本海外青年協力隊)のマスコミ派遣に任命されベトナム視察に行かれました。


日本と世界の架け橋に・・・
日本だけで埋もれてしまわないで、しっかり国際的な活動のできる人になってくれという両親の想いでアメリカンスクールに通わせてもらっていました。「国際的に考えなさい。ここの国だけになったらだめ、外に出て行きなさい。せっかくスイスの血も引いているんだから、もっと世界中の人と交流して、日本と世界の架け橋になるような仕事をしなさい」と言われていました。 JICAやフェアトレード(http://www.fairtrade-jp.org/index.html)の活動の様に、お金じゃないところで自分が出来る事をしているのも、そういうルーツがあるからだと思います。


★JICAのマスコミ派遣に任命された時のお話を教えて下さい。
国レベルの仕事をしたい!とずっと思っていたので、声をかけて頂いた時は、夢の様でした。頼んで出来るものじゃないですし!!一歌手の私に対しても、経済、政治、国の話しを分かりやすく説明してくれて、学生になった気分でノート1冊埋めつくして勉強しました。私がマスコミ派遣としてベトナムに行った事が、例え「行って来ました」という「話し」だけで終わったとしても、世の中の為に少しでもなるなら、嬉しいので、臆病にならずにトライしました。


★インターナショナルスクールでの思いを教え下さい。
私の通っていたインターナショナルスクールでは、毎年、自分が担当する国を決めて、自分達の国連を開催するという、国連の真似事をしていました。そこで世界について勉強したり、平和について考えたりしました。カソリックの学校だったのですが、色んな国の子供がいるので、宗教も様々。時間になれば、東に向いて祈らなければいけない子もいるのですが、そういうのも全然OK!とにかく色んな人種が共存してやっていく、国際平和を願う学校でした。


・・・「寛容」であるという事が大切
そして、そこで教えられた事が「寛容」である、いちいちびっくりしないという事です。これは今、日本人に必要な事じゃないかな。島国の日本にも色々な国の人が入ってくる様になったけども、気持ちがまだ全然開かれてない。英語を聞いたら怖がっちゃうような人もまだまだいるわけで・・・。日本も、もっともっと国際化が進んでくれたらいいのになって思います。中国に行っても、ベトナムに行っても、どこに行っても、精神面で日本が一番遅れている。他の人種に対する寛容さというか免疫がなさ過ぎる。違いをもっと楽しんでもいいのになぁって思うし、それが出来る様な教育もして欲しいな~って思う。


★シアトルの大学に通っている時は、湾岸戦争の時代だったそうですね。
はい、爆弾テロの通報があって学校に行けなかったり、と戦争をしているが為に常に生活に支障をきたしていたし、テロに怯えながらの生活でした。戦争についてとにかく考えさせられた時期でした。


<メジャーとインディー>
デビュー以来9年間在籍していた東芝を離れ、昨年9月に自身のレーベル「sakura咲楽records」を設立。インディーで活動していたSAKURAさん。今年4月からはメジャーレーベルのUniversal Music K.K.と契約し新しいスタートをされます。


インディーの1年間で、リリースしたシングル『いつまでも~すべての人の心へ届けversion~』を手売りで1万枚売るという目標を達成しました。その業績もあってユニバーサルが、「もっとたくさんの人に聞いて欲しい、もう少し歌の比重を大目にできるような環境を用意させて欲しい」と言って下さって。すごく悩みましたが、憧れの会社でもあったので、契約させてもらいました。


現在は、自立したアーティスト活動を模索中
正式には、sakura咲楽recordsごと、ユニバーサルにお世話になる事になったんです。他のアーティストとは、一味違う契約をして、活動できたらと思っています。例えば、アーティスト自身が宣伝やプロモーションと言ったビジネス面も考える。これは、とても外国的なやり方ですが、そういう活動をしていきたい。インディーでやっていた事をそのままメジャーでもやっていきたいと思っているからなんですが、ユニバーサルの人たちと一緒に自立したアーティスト活動をするためにはどうしたらいいのかを模索中です!


★インディーで活動しておられた頃のお話を教えて下さい。
今までは、音楽を作る面だけで、ビジネス面を全く知らなかったんです。 CDを発売するには、いくらお金がかかるのか、どれだけ人に会わないといけないのか、CDを作っている仕事をしているにも関わらず、CDが1枚いくらなのかも知らなかった。本当に作って吹き込むだけでした。 sakura咲楽recordsでは、全部やりました。ビジネスの事もわかると、周囲に対してより感謝も沸きましたね。 音楽の力ってすごくあると思う。その音楽の強い力で、人を生命力のある方へ引っ張っていけるような音楽を作りたい。人を喜ばせたい。人の役に立ちたい。その為には、インディーでの経験を活かして、歌うだけのお人形さんにならない様にしたいです。


★インディーで初めて出したCDを手売りで1万枚売るってすごいですね。
気付いたら1ヶ月半で売っていたんです。


一万枚を売ったエピソードを色々聞きました!


★最初から順調だったんですか?
いいえ。初回7000枚、生産注文したのに、大手のCD屋さんでも840枚しか取ってもらえなくて、それが私の世の中での評価なんだと落ち込みました。9年間やってきた結果がこれなのか、と思った時に自分が人生に裏切られた気がして・・・。それに、単純に7千枚どうしたらいいの?って。それまではすごく頑張っていたのに、その夜だけはすごく弱気になって、さすがに涙が出ましたね。


母の言葉に救われた
そしたら母が来て「作ってしもたもんは売ったらいいねん!ちょとずつでも売ったらいいねん!みんなで売ろう!」と言ってくれた。「あんたど~すんの?7千枚も作って・・」となじられるという事ばかりが頭にあったので、意外な言葉だったのですが、ほっとしたし、励まされましたね。


怒涛の快進撃
それからは、私は朝晩祈る習慣があるので、毎日祈って、知恵を働かせて。 CDショップで置いてもらえないなら、友達のカフェとか、薬局でもどんな店でもいいから、2枚でも3枚でも置いてもらえる店を探そう!と友達みんなに電話しました。特に、プアリーというコーラスグループのメンバー4人には協力してもらい、お店を紹介してもらいました。それだけでも結構な枚数が売れて。


何も怖くなくなった時
色々な人に会って、話を聞いて、自分の評価を確かめようと思ったんですね。自分の中では「840枚の女や」という評価しかなく、業界内ではそんなもんなんや、と自信も何もない状態だから、何も怖くないんですよ。だから、ストリートでもライブをするし、小さいキャパの所でもたくさんしました。CDを手売りする、サインをして握手をして話しを聞く。今までは考えられない事だったけど。歌える事の感謝にもう1回立ち返ることができました。 朝晩祈って、その日のゴールを決めて、効率良く動いて、お店にはありがとうと感謝を伝えて、ライブごとにお客さんに手売りして、毎日楽しんでいたら、1ヶ月位で1万枚売れたんです。自分でもびっくりでした!


苦しい時にそばにいてくれた人が一番大切
両親と子供、それに「一人で立つんや」と決めて、私が成功する何の信憑性もなくても大丈夫と言ってくれた人たちが回りにたくさんいてくれたことを、本当に感謝しています。


<SAKURA流 夢を叶える手段>
私は常にお願い事を「100のお願いノート」に書くようにしていているのですが、「絶対に1万枚売る」という事もここに書きました。このノートに書かれているお願いは「何の脈絡もない願いや!」と思う事がほとんどなんですが(笑)でも、そうしないと叶わないから。それに、自分も忘れるから・・・。 「国レベルの仕事の依頼が来ますように」という願いも書いていましたね。840枚しか、それも500円のシングルを売れない私に、「国が何を頼りにする事あんの?」って思うじゃないですか!でも「こんな自分やから、願った者勝ちや~」って(笑)書いていたんです。そしてら、JICAの話しが来ました!!



>>5/15に続く


次回は、SAKURAさんのポリシーや憧れる女性について等、お話して頂きました!! お楽しみに~★★


5月23日にはSAKURAさんのシングル「Peace of Mind」が発売されます。皆さんチェックして下さいね!


SAKURAさんのHPはこちら(http://www.singer-sakura.com/