【VOL.30】ジャズピアニスト 小曽根 実さん

 

 

神戸ジャズ界の“偉大なる父”、小曽根実さんの登場です! 長男は世界的ジャズピアニスト・小曽根真さん、次男はサックスプレイヤーの小曽根啓さん、奥様は元・タカラジェンヌ…と、音楽一家の父でもある小曽根さん。軽快なトークで、ぐいぐい引っ張ってくださいました。

 

 

★そもそも、ピアノを始めたきっかけは?
須磨の家にピアノがあって、子どものころ、おふくろが弾いてたんです。
僕の家はちょっと大きくて…(笑)、祖父さんは小曽根貞松(タケマツ)という人で、神戸ゆかりの50人に入ってるみたい。今日はファッション関係だと聞いたので古い写真持ってきたんですけど、父母は「モボ・モガ」でね。これは祖父で、こっちが母。
その母が弾いてた曲が、メンデルスゾーンの「春の歌」、ベートーベンの「エリーゼのために」、ショパンの「乙女の祈り」の3曲。でも途中までしか弾かれへん。「あれやったら僕でも弾けるんちゃうか」って弾いたのが始まり。10歳くらいかな。その前は戦争中で弾けなかったから。
後は独学で、耳で聞いたのを覚えて弾いてね。

 

 

★本格的に弾き始めたのは?
17~18歳の頃には、塩屋のカントリークラブに行って演奏しとったね。それが、どんだけ楽しいか(笑)。ノリがちゃうねん。進駐軍のキャンプとか将校クラブから呼ばれて演奏して、ダンスを踊らせながら、アドリブを覚えた。
外人の女の子なんて、ハイヒールをバーン飛ばしてチャールストン踊る。そしたらこっちものってくる。進駐軍のおかげで僕らは勉強させてもらったね。
ギャラもいいし、特にピアニストはソロでいけるから結構優遇されたなあ。食べ物がない時代に、おいしいものが食べられたし。軍用トラックで送ってくれるんだけど、それがガタガタ揺れてね。面白かったね。宝塚には「宝塚会館」というのがあって、そこの床にはスプリングが仕掛けてあってね。みんながダンスすれば、床がスウィングする。僕は関大だったけど、関学や女学院、立命館とか、みんなそこでパーティーやるんです。
当時やってた学生バンドから、みんなそれぞれにアンサンブルに入ったりしたね。


 

 

★それが仕事につながっていったんですか。
18くらいから仕事としてやってたんだけど、一応僕の中でのスタートは20歳から。最初に日本テレビに出たのが昭和29年、ちょうど20歳のころだったから。もちろんモノクロで全部、生放送。
30歳くらいのころ始まったのが「11PM」。読売テレビのスタジオに遊びに行ったらいきなり台本渡されて、そのままレギュラーになってからは、トリオも作った。
使ってたのは、アメリカ製のB3というハモンドオルガン(1934年にアメリカで開発された鍵盤楽器。1950年代からポピュラーミュージックでも盛んに使われるように)。ジャズやる人はみんなこれ。
音は、レスリースピーカーというスピーカーから出すんやけど、中のローターの回転で高音にも低音にもなる。低音のときは教会音楽みたいな感じ(賛美歌を弾く)。早く回して高音にするとこう(昭和を感じるレトロな音)。他の電子楽器ではまねできない。ハモンドは真空管の音だから。
ちょっと前、NHK大阪で2年やった番組の最初の放送のときに、技術の人がみんなスタジオにやってきてね。「おじんが弾いとんの聞きにくるんか」なんて僕は言ってたんやけど、弾くと「これが真空管の音か」って感動してもらえてね。番組が終了するときには「小曽根さんのオルガンが聞けなくなる」って涙まで流してもらって、うれしかったなあ。

 

 

★アナログのよさ、ですね。
コンサートなんて全部アナログでしょ。映像の世界は、そりゃあデジタルはすばらしい。毛の1本だってきれいに映る。でも結局、デジタルの世の中にだってアナログは不可欠。長男の真(世界的ジャスピアニストの小曽根真さん)も言ってます。「アナログはいるで。デジタルはきれいでシャープやけど、そればかり聞いていたら耳が変になる」て。
デジタルの世界にいてもアナログは守っていきたいね。


 

★ところで、ジャズのスタイルにもいろいろあると思いますが…。
スタンダードだけでも、スウィングジャズ、バラード、ボサノバ、ラテン系もあるな。
ジャズの原本は1920~40年ごろのディキシーランドスタイル、ちょっと遅れて1934~1935年ごろからスウィング時代がきた。ベニー・グッドマンやグレンミラーのビッグバンドとかね。
スウィングはその後、ウエストコーストとイーストコースト系に分かれた。イーストはニューヨーク、ウエストはサンフランシスコとかロスとか。その原点がニューオーリンズ。

 

 

★東と西では、どんな違いがあるんですか?
イーストコースト、ニューヨークは一言でいえばマニアック。ウエストコーストはスイング系で、ホットで楽しい。人の性格を反映してるんちゃうかな。ウエストコーストの人間はハートウォーミング。
西海岸に住んでたことがあったけど、東に行くというと「やめとけ」とかとか言われてね(笑)。ニューヨークは言葉もめちゃくちゃ早くて聞き取りにくいんだけど、そういった面がジャズにも出ていると思う。ちょっとせわしないというか。

 

 

★ということは、お好きなのはウエストコースト?
そうやね。そんなこと言うてたらジャズ屋から文句いわれるけどね(笑)。
関東のジャズと関西のジャズ、東京都と阪神間の違いは、ニューヨークとウエストコーストとの違いと似てますね。

 

 

★神戸は、ウエストコースト系なんですね。
そう。神戸ジャズは楽しいのが特長。マニアックなのは少ないね。どちらも否定はしてはいけないけれど。若い子なんてマニアックなのをやりたい人は多いけど、神戸はお客自身が「楽しまな」って、ホットなジャズを好んでいる人が多い。マニアックなのが聞きたかったら、東京行かんと。名古屋あたりで分かれてるんやね、面白いことに。
この頃NY行ったって、スタンダードやってない。全部オリジナルやってたり…。上手いのは確かに上手いねんけど。あんなとこで「Take the A Train(A列車で行こう)」やって言うたって、塩まかれるわ(笑)。

 

 

★そういう「時代」なんですか?
ちょっと話は長くなるけど、ニューオーリンズがカトリーヌ被害にあったとき、1000人1000円コンサートってのをやったんです。神戸国際会館や神戸市も協力してくれて、50人以上のミュージシャンがタダで出演してくれて。サックスプレイヤーの古谷充(ふるや・たかし)さんとも一緒に。結局、130万円集まって大阪のアメリカ領事館にそっくり寄付した。
そのお礼といって去年10月、僕が審査委員長をやっているネクストジャズ(神戸ネクストジャズ・コンペティション。2007年秋にスタートしたジャズ・コンペ)に、ニューオーリンズからゲストで2人来てくれてね、ピアノとサックスのプレイヤーが。そのとき聞いたら、「A列車」や「スターダスト」を知らないと。これには驚いた。アメリカでも、そういう状態。ジャズの世界も、だいぶ移り変わってるんやね。

 

 

★神戸のジャズはどうなんでしょうか。
神戸は、そういうことはない。7月にあった神戸まつりの「神戸ジャズウォーク」で、教え子が演奏していたから、覗いてみたら、ほとんどスタンダードをやっていて、ヤレヤレと思いましたね。お客さんの顔見てても分かる。
「ソネ」はママさんがスタンダードでなかったらあかんて言うてるほどだし、神戸のジャズってのは、みんなが知ってる曲をやって喜んでもらう。それが神戸のミュージシャンのステイタスなんちゃうかな。大阪や京都のほうがマニアックなのをやってる気がしますね。


 

 

 

★スタンダードで誰もが楽しめるんですね。
そしてスウィング、それが神戸ジャズ。スタンダードは幅広くて、「ラヴィアンローズ」だって、ルイ・アームストロングがやってジャズのスタンダードになった。ジャンルを問わず100人中80人知ってたら、スタンダードといえる。そういう曲は、最近は出てこないですけど。
僕の中のスタンダードは、自作の「レイジー・ダッド」。50周年のとき70歳のときに作ったCDです。手前味噌だけどね(笑)。

 

 

★神戸は日本でのジャズ発祥地と言われていますが…。
そう言われてるね。大正時代、神戸にはヨーロッパ航路、横浜にはアメリカ航路が入っていたんだけど、関東大震災で横浜が壊滅してしまった。それで両方の航路が神戸に来た。その時代に、どっちに乗ってたかは知らんけど、フィリピン人のフランシスコ・キーコという人が、ダンス音楽を神戸のオリエンタルホテルで弾いたらしい。
ダンス音楽がジャズに移り変わっていくんだけど、大正天皇が崩御された時、大阪がダンスを自粛しなかったことでダンス禁止令が出て、みんな神戸に集まってきた。それで、神戸で発展したんやろね。


 

 

 

●小曽根実さんの音楽教室
オゾネミュージックスクール

 

 

ジャズピアニスト 小曽根実さんのインタビューは来週8月17日に続きます。

 

 


 

■取材ブレイク

気さくで陽気、とっても“ハートウォーミング”な小曽根さん。よどみなくあふれてくるエピソードはもちろん、御年75歳とは思えない記憶力のよさにも二度ビックリ。これでも豊富な人生経験のほんの一部。
大御所らしいエピソード、まだまだ続きます。

 

取材日:2009年7月22日

市内在住ライター。暮らしの中で接するあらゆる人の話に、ひっそりと息づく小さな真理。そんな“人生の知恵”に励まされ、癒される毎日です。
インタビュアー:中山 純子